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核実験により北朝鮮は、これまで以上に国際的に非難を受ける国家となった。そんな国に、アントニオ猪木は足繁く通っている。猪木は9月13日、31回目の訪朝から帰国した。北朝鮮は、国際的に厳しい立場に自ら進んで立つような、外界とのコンタクトを取ろうとしない独裁社会主義国家だ。日本人の多くも北朝鮮に拉致され、未だに日本に帰って来れない現実もある。
一般的な感覚では、そうした危うい国とは関わりたくないものだ。アントニオ猪木がそこまでして、北朝鮮へ通い詰める理由はどこにあるだろうか。
北朝鮮へ行くきっかけは?力道山・・・
アントニオ猪木はこれまで、政治家になって以降、幾度にわたり北朝鮮を訪問している。31回目となる今回も猪木は9月8日に北朝鮮に向けて出発し、滞在中は平壌で朝鮮労働党副委員長のリ・スヨンと会談した。
アントニオ猪木の訪朝はスポーツ交流が主な目的となっているが、北朝鮮へ行くようになったきっかけは何なのか。そこには、アントニオ猪木の恩師、力道山が関係しているようだ。
アントニオ猪木は元々、プロレスラーとして絶大な人気を誇っていた人物。現役を引退した後も、「元気ですか!」の掛け声や入魂びんたなどのパフォーマンスで知られていた。そんな、アントニオ猪木は幼少期から青年時代をブラジルで過ごしている。アントニオ猪木はブラジルで陸上競技の大会に出場、砲丸投げで優秀するなど高い身体能力を持っており、ブラジル遠征中の力道山の目にとまったことで、日本でプロレスラーとして活躍することとなった。力道山はアントニオ猪木をプロレスの世界に導いた、プロレスの恩師となるのだ。その力道山の故郷が北朝鮮だったことがきっかけとなり、政治家に転身した後にアントニオ猪木と北朝鮮との関わりが始まった。
これまでの訪問履歴は?
アントニオ猪木が最初に北朝鮮を訪れたのは1994年9月のこと。1989年に参議院議員に初当選し、議員時代に初めて北朝鮮を訪れた。その際に、力道山の娘とも会談している。また、アントニオ猪木はプロレスの元チャンピオンとして、1995年に平和の祭典と言われるプロレス興行を北朝鮮で行った。北朝鮮はそうしたプロレス興業を痛く気に入ったそうで、その後も度々、北朝鮮の要請に応える形で、プロレス興行が北朝鮮で開催されてきた。
アントニオ猪木の北朝鮮訪問の目的とは?
アントニオ猪木はプロレス興業というスポーツ交流を訪朝の主な目的としているようだが、アントニオ猪木自身は北朝鮮を訪問することについてどう思っているのだろうか。実際に北朝鮮を訪れたアントニオ猪木は、日本の報道と北朝鮮との現実にはカイ璃があることを指摘。
そのうえで、「日本は北朝鮮と国交もない状況で対話の窓口もすべて閉じてしまった」としており、北朝鮮側から見た日本の姿については、「別に北朝鮮の太鼓持ちをやるつもりはないが、日本が偏見を持って北朝鮮を見ている。そんな日本はおかしいと思われても仕方ない状況に来ている」という。
拉致という大きな問題を抱える中で、「日本人拉致問題の解決のためにも北朝鮮との交流が必要だ」と考えており、そのためにアントニオ猪木がこれまでの訪朝で培ってきた北朝鮮のトップとの人脈を「どうにかこれをもっと有効的に動かせないか」としている。「利用できるものはすべて使って目的を達成する。これが政治家の力量ってもんだろ」こうした思いが、アントニオ猪木を北朝鮮へ引きつけているようだ。