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克美しげるという男をご存知だろうか。2013年2月にこの世を去った、元歌手だ。この男、芸能界でただ一人といっても過言ではないだろう。過去に殺人という過ちを犯しながらも、芸能界にカムバックし、テレビ出演を果たした男だ。3月4日放送の爆報フライデーで克美しげるの事件が取り上げられるという。
克美しげるは才能あふれる歌手だった。仲間からの人望も厚かった。そんな男がなぜこのような罪を犯したのか。事件から復帰までの経緯をたどる。
克美しげるが岡田裕子を手にかけるまでの経緯
克美しげるは1960年にデビュー。その後、テレビアニメ「エイトマン」の主題歌や、「さすらい」という曲を60万枚売り上げるなど、一躍人気歌手となった。紅白歌合戦へも2年連続で出場し、栄華を極めた。
しかし、1970年代には人気が低迷。若くして成功を収めたスターの転落人生が始まった。ブレイクしていた頃の金銭感覚が元に戻らず、一攫千金を狙いギャンブルに明け暮れる日々。借金が膨れあがっていった。この時すでに2度目の結婚をしていたのだが、その事実を隠し交際していた女性がいた。それが岡田裕子だ。
妻の存在はのちにばれてしまうのだが、克美は「妻との関係は冷え切っている」「借金を返したら君と結婚する」と岡田裕子を騙し続ける。岡田裕子は、その間風俗店に勤務して、克美しげるの借金を返済していたのだ。
岡田裕子の献身の甲斐もあり、克美の借金は完済された。そして克美は芸能界へ再び返り咲くのだ。しかし、そこからがあまりにひどかった。
克美しげるは、芸能人としての成功を取り戻すと、風俗店勤務の岡田裕子を疎ましく思うようになった。一方の岡田裕子も、はたから見ればストーカーのように見えたのかもしれない。克美に依存していたのだ。
そしてついに、克美は北海道公演の直前に岡田裕子を殺害。トランクに収容していたところ、通りがかった警察官に発見され、克美の逮捕につながったのだ。
克美しげるはなぜ芸能界に戻れたのか?
克美しげるは裁判でもうまく立ち回った。岡田裕子をストーカーに仕立て上げ、ストーカー被害に逆上して殺害してしまったというシナリオを演じきった。また、そのシナリオに感化された克美の支援者たちも、減刑の嘆願書を集めた。その甲斐もあり、克美の刑期は10年となった。
刑期を終えた後、克美はカラオケ教室を経営し、再び富を築いた。彼の才能は確かであり、多くの女性ファンが彼のカラオケ教室に詰めかけたのだ。1983年には、記者会見を開き、岡田裕子の父親に対し公開謝罪を行った。そこで賠償金の1000万円を一括で支払ったのだという。世間はこれにより克美しげるのカムバックを思い知ったのだ。
しかし、克美はまた自分を見失った。今度は覚せい剤に手を染め、逮捕。ついに彼は支援者からも見放されることになった。
克美しげるが芸能界に戻ることができた要因は二つある。一つは、自らの才能を元にリサイズした活動で資金を得たこと。もう一つは鮮烈なカムバック劇を世間に知らしめたことだ。
克美しげるには、確かな才能があった。本来であれば、全国放送に出てその才能を発揮することができたが、彼は「カラオケ教室」という非常にミクロな手段で自らの才能を売り出した。現代においてもそうなのだが、個人が金を得ようと思ったら、自分の才能を狭い範囲で換金することが最も手っ取り早いのだ。自分の才能の中で、50人に1人のものを見つける。それを教える先生という立場をとり、1000人にアプローチする。そうすれば、20人程度は教えて欲しいという人物が現れるはずだ。その20人から月謝として2万円でもとれば、十分に生活していくことができる。
もう一つは鮮烈なカムバック劇。日本の芸能界の歴史を振り返っても、殺人を犯した歌手が、公開謝罪を行うなどというのはあり得ないことだ。マスコミは最大級に関心を寄せた。そこでいままでと変わらない姿を見せることができれば、彼の復帰は極めて容易なものとなる。
しかし、命を落とした岡田裕子さんはあまりに報われない。天国で克美しげるをどのような眼差しで見ていたのだろうか。