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東京都議会が揺れている。舛添要一の辞任に始まり、後任の東京都知事を決める選挙についても候補者がなかなか決まらないなど、混迷を極めた。最終的には21人もの候補が出馬を表明した。注目候補の小池百合子、増田寛也、鳥越俊太郎の訴求力の低さから、泡沫候補が乱立したと考えられる。
そしてここへきて、猪瀬直樹元東京都知事が衝撃的な事実を暴露した。東京都議会のドンと呼ばれる内田茂議員が、過去に樺山議員を自殺に追いやったということを、実際の遺書と共に暴露したのだ。
一人の人間を怒りのあまり自殺に追い込むほどの内田茂とは一体どのような人物なのか。今回は、都議会のドンと呼ばれたこの男の経歴やwikiについて調査を行った。ぜひご覧いただきたい。
ドン・内田茂の経歴wiki風
内田茂の経歴は以下のようになっている。
○ 1939年3月15日千代田区神田生まれ
○ 1953年 区立一橋中学校卒業
○ 1956年 都立九段高校中退
○ 1975年~1989年 千代田区議4期
○ 1983~1985年・1988年 千代田区議会議長
○ 1988年 特別区議会議長会会長
○ 1989年~2009年 東京都議会議員6期
○ 1998〜年 都議会自民党幹事長
政治家になることを決意したのは28歳の時。実家が家事にあい、一家離散を強いられた内田茂。しかし、内田茂には障害をもつ弟がいた。弟の面倒をどうやってみていくべきか途方に暮れていたところ、安井謙という政治家が介護施設を紹介してくれたという。そのことに感銘を受けた内田茂は、人の助けになることができる政治の世界を志したというのだ。
都議会自民党の幹事長は10年以上も内田茂が務めている。これだけでも、彼の支配力の強さがわかるだろう。権力は流れる水のようなものだとよく言われる。それは、一つのところに留まり続けると、やがて腐っていくからだ。都議会においても一時期自民党が野党にくだった時期があったが、基本的には与党として君臨し続け、その中枢ポストに君臨し続けていたのが、内田茂氏だ。
特に、東京五輪組織委員会に森喜朗が会長就任した際のいざこざなどは、内田茂を取り巻く利権の渦を象徴したような出来事だと言える。東京五輪組織委員会の会長職については、当時の猪瀬直樹都知事が人選を熟考していた。しかし、突然森喜朗の名前が上がったのだ。猪瀬直樹はこれに反発したものの、徳洲会から不適切な融資を受けたというスキャンダルでスピード失職。
森喜朗の名前が上がったのはなぜか?その後、猪瀬直樹がすぐに辞職に追い込まれたのはなぜか?内田茂ほどの都議会における実力者であれば、これを演出し、実行するぐらいの政治力は十分に持ち合わせているだろう。
この裏にあるのは、当然のことながら莫大な利権を狙う人々の思惑だ。森喜朗は、元総理大臣。自民党が抱えている利権にアクセスする人物としては、適任だ。
つまり、自民党が儲けさせてあげたい企業達が存在し、その企業達を効率よく儲けさせてあげるには、東京五輪組織委員会に、影響力を持った自民党寄りの人物を据える必要があった。それを排そうとした猪瀬直樹は、都議会に巣食う自民党のドンに追いやられた、という見方があるのだ。
現に小池百合子などは、そうした背景を知ってか、「都議会の解散」を公約に掲げ、都議会の奥深くに巣食う内田茂の触手を断ち切ろうとしているとみられている。
樺山議員はなぜ自殺したのか?
内田茂は、ある都議会議員を自殺に追い込んだと言われている。それが樺山卓司都議会議員だ。樺山都議は2011年7月に亡くなった。その遺書には「内田茂を許さない。来世で報復する。」などと書かれていたようだ。
内田茂は、あまりに長く自民党都連の幹事長に君臨し続けた。一説によると、暴力団などとのつながりがあり、周囲は手を出せない状況になっているという情報もある。権力と、暴力の二つを手にしてしまうと、大抵の人は思い通りに動かせてしまう。
そのような中で樺山都議は、内田茂に異常に集中する権力と、それを乱用し、内田が都政を思うがままにしている状況にずっと抵抗してきたのだ。樺山都議を支援する声も非常に強かったが、内田茂から壮絶な嫌がらせやいじめを受けた樺山都議は、最後は自ら命を絶った。表面的にはいじめや嫌がらせが理由と言われているが、実態は何かしらの脅迫があってもおかしくはない。
現在、これほどの闇が都議会のなかには巣食っているのだ。ここに小池百合子がメスを入れることができるのであれば、彼女を応援してみるのも面白いかもしれない。