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11月19日から松山ケンイチ主演の映画『聖の青春』が公開された。この作品では今は亡き将棋棋士の村山聖を題材としたノンフィクション小説の映画化だ。村山聖は誰もが知っている将棋界トップの羽生善治と並び称されるほどの人物だったのだ。
羽生と同世代の村山は幼少期より難病のネフローゼを抱えており、プロ入り後には癌を患いながらも将棋を指し続けたのだ。羽生との最後の対局は伝説とまで言われている。
村山聖の死因は?
村山聖は腎臓の難病であるネフローゼにわずか5歳の時に患っていることが発覚した。長い入院生活をしていたが、入院中に父親から将棋に出会い将棋に没頭した。森信雄を師匠として奨励会に入会して2年11カ月の早さでプロ入りした。
しかし、10代の終わりには「名人になって早く将棋を辞めたい」と語っていたとのことで自分の命は短いと考えていたのだろう。村山は膀胱ガンを患い、8時間半にも及ぶ手術で腎臓を摘出しているが移転・再発し29歳の若さで亡くなっている。ですから村山の直接的な死因はガンなのだ。しかし、幼いときから腎臓の難病であるネフローゼを患っており、難病を抱えながら将棋に打ち込んできたのだ。
羽生善治との最後の対局が伝説に
村山は羽生と同世代であり、2人は「東の羽生、西の村山」と並び称されるほどだった。2人は10代のうちから活躍しておりライバルとして激戦を繰り広げてきた。なかでも村山と羽生の最後の対局は伝説ともなっている。村山と羽生の最後の対局は1997年のNHK杯決勝だ。村山はほとんど勝ちが決まっていた将棋を展開していた。
しかし、秒読みに追われてミスをしたことで羽生に敗れたのだ。これで村山と羽生の対戦成績は6勝7敗となった一局だった。村山はこの対局が人生で最後の敗北となった。村山はその後公式戦を5連勝して1年間の休場を発表したのだ。多くの将棋ファンの間では村山と羽生の最後の対戦は伝説とも評されている。
村山は羽生とともに並び称される人物だ。将棋に疎い人でも羽生善治は知っている人が多いだろう。それほどの人物である羽生を追い詰め、実力は拮抗していたのが村山だ。幼少期から難病と闘い、将棋の世界に入った。それだけに精神力や忍耐力がずば抜けていたのだろう。生きていれば今でも羽生のライバルとして数々のタイトル戦を戦っていたかもしれない。羽生には村山の分も将棋を指し続けて欲しい。