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ジャーナリストというと、専門的な知識を持ち、報道機関に寄稿している、「偉い人」というイメージを持つのだが、最近このジャーナリストの質が低下しているように思う。
勘違いしているように思うのが、個人の見解を述べるのだから、感情論でかまわないという、ニセジャーナリストが増えているように思う。
そこには、凝り固まった、特定の思想や、価値観を持ち、自分の言うことが正しいから、そうすべきだという論調も多く含まれている。
もちろん「知る権利」や「言論の自由」と言ったものがある以上、様々な思想を持つ人がいることは構わないだろう。
しかし、テレビなどのメディアに出てきて、自分の思うほうに誘導しようとすると、始末が悪い。
感情論で物を言うジャーナリストの代表に木村太郎がいる。
木村太郎を嫌いな人が増加中
木村太郎を嫌いな人の多くが、「感情論でしか物を言わない」と言う意見を持っている。
個人の見解だから、多少感情論になってしまう部分はあるだろう。
しかし、視聴者が聞きたいのは、専門的な見解であって、感情論ではない。
感情論だけを話すのなら、自分の父親にだってできるし、その辺の井戸端会議と同じである。
このように、テレビが井戸端会議化していると思うのは、私だけではないだろう。
特に、政治経済などは、感情論では語れない。
あの人が嫌いだからとか、こっちを支持すれば得をするから、というのであれば、中学生でも出来る。
政治について語るとき、政策や法案についてほとんど語られず、「ゴルフに行った」とか、「挨拶をした」というどうでもいいものばかりである。
そのくせ、感情論で、「この人は独裁者だ」とか、「こんな無能な人はいない」と言ってのけるテレビにはビックリだ。
それは、見解ではなく、悪口だ。
「○○をしたからだめだ」とか、「○○という法案を通したけど私はこう思う」というのが、見解で、感情論だけで語るのは見解とは言わない。
特に感情論で経済を語りだすと手に負えない。
極端な例を挙げると、中国が嫌いだから貿易を停止しようと、感情論で突っ走ってしまうようなことがあると非常に危険だ。
経済というのは水物で、例えばどこかで戦争が起こるかもしれない、リーマンショックのようなことが起こるかもしれない、というように、他国の情勢や、思いもよらぬところから景気が失速する場合がある。
あくまで冷静に情勢をみきわめ、客観的な事実をもとに語れるジャーナリストが必要とされている。
トランプ反対デモに苦言?
トランプ大統領を大統領と認めないというデモが起こった時のこと。
木村太郎は「この人たちは何に抗議しているんでしょうね。民主主義への批判ですよ」と言ったが、それは間違っていると思う。
いろんな考えの人があるけど、公平に投票で決めましょうと言うのが民主主義で、決して「決められたことに、黙って従う」のが、民主主義ではない。
日本でいえば、届出をすれば、集会の権利も認められているし、選挙に不正があった時などは、選挙が裁判所によって無効になる、それが、民主的な国家ではないだろうか。
いろんな人がいて民主主義なのだ。
黙って従うのなら、絶対王政と同じである。
少し時代錯誤とも取れる発言だが、ジャーナリストの中にはもっとひどい人もいて、木村太郎はまだマシな方ではないだろうか。
もう一度ジャーナリストを志した時を思い出して、「ジャーナリズム」とは何なのかを考えて欲しい。