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裕木奈江さんと言えばハリウッドで日本人女優として地位を確立した苦労人の女優さんですが、かつてはバブル期のトレンディドラマには欠かせない女優さんでした。
そんな裕木さんがある日忽然と日本の芸能界から姿を消した時、芸能関係者は彼女に何が起こったのか全く分かりませんでした。
引退説はもちろんですが死亡説まで出るほどの騒ぎになったのですが、実際には裕木さんが自ら望んで渡米したことが分かり、日本の芸能界とは距離を置きたいゆえの行動だったことが明らかになりました。
そんな裕木さん、そもそも日本の芸能界から姿を消したい理由はなんだったのでしょうか?
ドラマで演じた女性役が同性のバッシング対象になった
裕木さんはデビュー以来その演技力が評価され、さまざまなドラマに出演してきました。
特に1993年に放送された日本テレビ系ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」では、緒方拳さんが演じる友人の父と不倫関係になり家庭を壊してしまう役を演じきって、ドラマもヒットして社会現象になったのです。
ですが、この時に演じた女性役があまりにはまりすぎて、同性の女性から「嫌いな女優No.1」などに選ばれてしまうほどのバッシングを受けてしまうのです。
このバッシングはすさまじく、裕木さんの事務所にカミソリ入りの手紙が届いたり、日本テレビには爆発物を装った小包が届くなど、そのバッシングぶりは異常と言える者でした。
裕木さん自身はこの時のバッシングを「忙しすぎて考える暇もなかった」と語っていますが、当然仕事のオファーが出しづらい状況になったため、仕事量は激減してしまったのです。
文化庁の研修生になったことすらバッシング対象になる
裕木さん自身、日本での仕事がこれ以上得られないということもあり、海外で女優として活動したいと思うようになります。
そんな裕木さんは2004年9月から1年間、文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修生に選ばれ、ギリシャに国費留学して英語と演劇を学びます。
この研修制度は公募制であり、試験を経て裕木さんは選ばれたのですが、ここでも「えこひいきがあった」「裕木奈江に税金を使うのか」などとバッシングが続きます。
これで決心した裕木さんは、研修を終えると同時に日本の生活拠点を引き払いアメリカへ単身わたることになります。
名前も「NAE」と変え、アメリカで舞台女優の端役として活動を始めていくうちに映画関係者の目に留まり、2006年4月にはクリント・イーストウッド監督に見出され、映画「硫黄島からの手紙」に出演を果たし、ついにハリウッドデビューを成し遂げたのです。
裕木さんは今でもバッシングについて自身の気持ちを明らかにしていませんが、日本で女優活動が続けられなかったことの悔しさが渡米後の活動のエネルギーになったことは間違いないでしょう。
ドラマの役を演じきった裕木さんにバッシングを加えたのは同年代の女性たちでした。
彼女たちがなぜそこまでのバッシングに至ったのかはわかりませんが、少なくとも自身の人生がうまくいっていないことのジレンマをドラマの「悪女役」であった裕木さんにぶつけていたのでしょう。
裕木さん自身はハリウッドで活躍できているからまだいいものの、他人の人生をここまで変えてしまうような悪質なバッシングは許されるはずはありません。
特にネット全盛期になった今こそ、バッシングがしやすい社会になってしまったのですから、裕木さんの様に苦しむ人はこれ以上生み出さないようにして欲しいものです。